「財務諸表から見える企業」第14回目は、阪神電気鉄道と2006年10月1日に経営統合することが決まった、阪急を見ていきます。

鉄道・バス業界は我々の毎日の生活に不可欠で、とても身近な業界のひとつです。ただ、成長余力は限定的であることから、企業経営という視点ではどちらかと言うと地味な存在で、あまりとやかく言われる存在ではありませんでした。

2006年1月のプリヴェチューリッヒ企業再生グループによる株式大量取得が発覚するまでは、阪急は大手私鉄企業の1社として、鉄道・バスとその周辺事業を関西を基盤に営むそうした企業でした。バブル時代に進めた不動産投資と巨額の有利子負債がたたり、長年にわたってその損失処理に追われたものの、ここ数年では着実に有利子負債を返済して、鉄道業界の本来の特徴である安定軌道に戻りつつありました。

紆余曲折のあった村上ファンドによる阪神への株主要求も、村上氏の逮捕によって、最終的には阪急と阪神が経営統合するという形で決着しました。村上氏のインサイダー取引が発覚する前の段階では、阪急、阪神にとって、もっとも望んでいた結果となりましたが、一年前を考えれば、阪急と阪神が経営統合するとは、誰もが夢にも思わなかったことでしょう。現在の当事会社の真の思いがどこにあるのか、知る由はないですが、10月以降に2社の財務諸表が統合することは、決定した現実です。

それでは、例によって、阪急のイメージを、財務諸表上の言葉にすることから始めてみましょう。

  • 鉄道・バス業界は地域限定でビジネスを行うため、売上や利益の成長性は限定的であるが、安定的な売上・利益の推移と収益構造を保持しているのではないだろうか?大きな費用としては、設備投資に伴う減価償却費と人件費が想定される。また百貨店などのリテール業も営んでいるので、商品の仕入れも少なからずあるであろう?
  • バランスシート上の大きな資産は、何と言っても設備投資であろう。機械装置を多額に保有する製造業と異なり、鉄道業界は鉄道のレールを敷く土地や、駅の建物などが多額に計上されるのではないだろうか? 阪神が保有する阪神甲子園球場は、バランスシート上では、未だ8百万円で計上されていることが話題となった。阪急もそうした土地の含み益を多く抱えているのだろうか? 
  • 鉄道会社と言えば、鉄道・バスという主力事業に加えて、不動産、リテール、旅行、レジャーなど、様々な事業を行っている。阪急は阪神と比べても不動産事業が強いと言われているが、実際の事業構成比はどうなっているのだろうか? 
  • 資金調達について、昨今のニュースで「これまで削減してきた阪急の有利子負債は、阪神との経営統合によって再び増加する」と耳にする。鉄道・バス業界等は事業リスクが低いので、低いリスクを好む銀行借入れは資金の性質に見合っているとも言える。いずれにしても、借金を中心とした資金調達であることは確認できよう? 
  • 我々が定期券を買うことは、鉄道会社からすれば、乗車サービスを提供する前に受け取ることのできる貴重な資金である。企業の資金繰りにとっても有効なはずである。これは決算書上、どのように確認できるのであろうか?

阪急グループは、2005年4月にグループ経営機能を担う阪急ホールディングス株式会社と傘下の事業会社から構成される純粋持株会社体制に移行しました。ここでは、当持株会社の2006年3月期の連結損益計算書(PL)と連結貸借対照表(BS)を見ていくことにします。

■連結損益計算書と連結貸借対照表

阪急 損益計算書阪急 貸借対照表
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損益計算書(PL)

1.阪急ホールディングス(以下、阪急)の2006年3月期の売上高は4,861億円、営業利益は648億円、経常利益は541億円、純利益は253億円となりました。下記グラフが示すように、過去5年間を見ても、売上高、経常利益共に安定的な右肩上がりを示しています。

阪急H 売上高 経常利益

2.売上高営業利益率13.3%は、これまで見てきた多くの企業と比べても、高い収益性を示しています。しかし、鉄道・バス業界の主な売上高は運賃であり、製造業などとは異なって、売上=売上総利益のような考え方もできます。10%を超える高収益率は、当社の特徴というより、鉄道・バス業界の特徴と考えるべきでしょう。むしろ多額の設備投資に見合った収益性を保有しているかどうかを判断するROAの方が、当業界を評価する上では有益です。後のバランスシートの項目で見てみましょう。

3.運輸業等営業費及び売上原価が全体の82.8%を占めていますが、残念ながら連結ベースでは詳細な費目は開示されていません。もう少し詳細な費用内訳が開示されている単体決算書を見る(持株会社制度移行前の2005年3月期を参照、本稿に添付なし)と、鉄道事業では売上高の約20%に相当する人件費が計上されています。また、連結キャッシュフロー計算書(本稿には添付なし)を見ると、全社の減価償却費が296億円あることが分かります。販管費にある減価償却費は僅か2億6千万円なので、この300億円弱の数値は、大部分が運輸業等営業費及び売上原価に含まれる減価償却費と考えて差し支えないでしょう。売上高の約6%に相当するこの減価償却費には、鉄道事業から発生するものの他、賃貸用不動産として当社が保有している建築物から発生するものも含まれます。

4.阪急のような多角化企業こそ、セグメント情報を基にセグメントごとの事業概況をしっかり理解しておくことが重要となります。

阪急H セグメント

都市交通事業 鉄道事業、自動車運送事業、車両製造業
不動産事業 不動産賃貸業、不動産売買業、
不動産管理業
旅行・国際輸送事業 旅行業、貨物運送事業
ホテル事業 ホテル事業
エンタテインメント・コミュニケーション事業 歌劇事業、広告代理店業、出版業
リテール事業 小売業、飲食業
その他の事業 消費者金融業、情報処理、人事・経理代行業

 

都市交通事業と不動産事業の合計は、売上高では52%、営業利益は84%、資産は75%、そして減価償却費は80%と、いずれの数値を見ても大きな構成比を占めていることがわかります。資本的支出のみホテル事業がもっとも大きな構成比を示していますが、これはホテルチェーンの一体的運営に向けて、ホテル事業各社を統合したことに伴う土地・建物の取得に起因するものであり、今年限りの一時的な要因です。よって、実質的には資本的支出においても2つの主要事業(都市交通事業と不動産事業)の構成比が大きいと言えるでしょう。

5.一方、各収益性の数値を見ると、阪急固有の特徴に加えて、各業態の特徴も見ることができます。まず、ROA(営業利益ベース)では、リテール事業がずば抜けて高い値を示しています。中身を見ることで、3.9%の低い営業利益率を3.6倍の高い資産回転率でカバーしています。営業利益率3.9%は小売業では並の利益率ですが、鉄道・バスや不動産業と一体となってリテール業を営む阪急だからこそ実現できる、高い資産回転率⇒高いROAと評価できます。

6.都市交通事業と不動産事業に共通しているのは、高い営業利益率、低い資産回転率によって計算される、そこそこのROAです。これらは両業界の特徴と言えますが、算出される5.2%と3.6%のROAは低すぎないでしょうか?ひとつ言えることは、「低い」か否かの基準は投資家からの資本調達コストが決めること、そしてその資本調達コストを下げるため、有利子負債を中心とした資金調達を行うことで、投資家からの要求コストを抑える⇒低いROAでも満足してもらえる資本構成を持っていることです。鉄道・バス業界になぜ借金が多いのか、ひとつの解答となります。旅行・国際輸送とホテルのROAはいまひとつなのに対して、歌劇事業や劇場の運営を行うエンタテインメント・コミュニケーション事業は、全社に占める売上構成比は少ないものの、2つの主要事業を上回るROAを実現し、営業利益で全社に6.6%貢献する孝行息子と評価できます。

 

【今後の注目】 

阪急と阪神は同じ京阪を走る大手私鉄企業として、長年のライバルでありました。その2社が経営統合を決断する過程において、ファンドによる株式大量取得、阪神タイガースの上場提案、保有不動産の含み益への注目、TOBによる経営統合、そして最後は村上氏逮捕と、あまりにドラマチックな変遷がわずかな期間の間に展開しました。一連の流れで損をした人や失ったものを挙げることは容易ですが、私たちが得たものは一体何なのでしょうか。

賛否両論ありますが、私は村上氏が身を張って行った株主重視の意義の訴えは、やはり日本の企業経営において、相当に大きなプラスの影響を与えたと考えます。ここ数年の企業の経営計画を見ていても、株主を向いたメッセージが格段に質・量面で向上しています。村上氏の活動が無かった場合、果たして企業には自主的にこうしたメッセージを発する気概があったでしょうか? 村上氏がそのすべての要因ではありませんが、大きな起爆剤となって、多方面に影響を与えたことは間違いありません。インサイダー取引によって法を犯したことは100%情状酌量の余地はないですが、日本の企業経営に大きな一石を投じたという点で、村上氏の活動が日本の企業経営のプラスの歴史に残ることも事実だと考えます。

一方の阪急・阪神はどうでしょうか。村上氏のインサイダー取引発覚によって阪神の株価が急落し、阪急の勇み足や高値つかみも指摘されています。また、阪急の有利子負債が再び1兆円を超えて財務体質が悪化することも事実です。しかし、財務体質が良くかつ優良不動産を保有する阪神と経営統合することは、生みの困難こそあれど、阪急の経営の根幹を揺るがす要因は皆無です。

東京では今、様々な新しいビルやホテルが生まれ、街の様子が急速に変わり、新たな価値観が生まれています。地盤沈下が囁かれてきた関西圏の躍進の起爆剤として、阪急阪神グループが大きく貢献することを、期待しましょう。

 

 

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